ー“3組の宮地さん”からの感想文を掲載いたしますー
題名に誘われて「鼻歌まじり」で読み始めましたが、思いがけずのめりこみました。
それはきっと著者の文章が巧みなこと、そして語り口が粘り強いこと。
重いテーマをまともに扱いながら、テーマに溺れることなくどこか乾いていて涼しげであること。
絶えずもう一人の自分が今の自分を客観していて、そうした精神の二重構造という一種の不幸を明晰に意識もしていて、その冷静さから生み出されるたくまざるユーモアと明るさと安心感が読者を最後まで飽きさせません。そうした技巧が、単なる身辺雑記や日記の域を超えて普遍性を獲得しました。
この小さな冊子の中には、作者の明澄な金言が満たされていて、何度も立ち止まらざるを得なかったことを白状しておきます。
「・・・人間は心を包み込んでしまうことのできる動物だ。・・・」韜晦などという文学的修辞では到達し得ない実感の言葉なのでしょう。その上で「・・・あまり幾重にも包みすぎたので、自分でさえどれが本当の自分だったかわからなくなってしまったりもする。」と看破している。
そして、「あるがまま、あるがまま。」と、今のありのままの自分をまるごと受け入れようとしている著者の姿は、自嘲するような気味の悪いオバサンどころではない。体現者として神々しくさえ感じられます。
著者は、「生きる面白さは、波一つない鏡のような水の上を全てが完備された豪華船のソファにうもれて滑っていくことではない・・・。」と自らを鼓舞もしている。「いい人生というのは、人から見ての成功度合いとは無関係に自己採点で決まるんじゃないか・・・。」嫌味になりがちなこうした口吻も、著者の人柄なのでしょう、優しく響きます。
そして、ジキルとハイドのように異質の性格が交互に顔を覗かせる自らの「神経症」という病気を憎しみと愛の対照になぞらえて、「本当は、一つの根っこから伸びて葉を揺らす、同じ木に咲く花」なのだと肯定する。
「何もなかったより、今の方がよかったのだ。会わないより、出会えてよかったのだ。」と・・・・。
この物静かな言い回しに私は圧倒されました。
「どっちみち人生は、明るい日と書く明日が本当に今日につながっているのかどうかさえわからないまま歩くてさぐりの旅路だ。」何も分からないから、「今日の日は今日だけを・・・・とりあえず生きてみようか。」これほどまでに凄まじい人生観を、私は今までに持ち得たことなどありませんでした。何度も立ち止まった挙句、まるで著者のこれまでの半生を追体験し懐旧するように、読後の「あとがき」がまた味わい深い。この滋味はしかし、通読してからでなければ分からないものなのでしょう。
同世代として無関心ではいられない良書でした。